ハロアル 医療活動3日目

2月10日  医療活動3日目

 

 AM 5:30  このモーニングコールもかれこれ8年目となると体が無意識に反応し、普段仕事に行く起床時とは何処となく違った気持ちで朝を迎えます。「今日」という日にどのような出会いと感動があるか、窓から映る動き始めたマニラの街並みを見ながら、ふと、日本での毎日をこんな“わくわく感”で過ごせているだろうかと自分の人生を少し顧みました。

 しかし隣ではこれも毎年のことながら9年目となる現地活動責任者の今西先生が相変わらず深い眠りについています。彼をたたき起し、朝食会場に行くと「ハロアルTシャツ」

を着た参加者たちが既に集まっています。「おはようございます」と元気な声で挨拶を交わします。昨日は2グループに分かれ別々の活動場所でしたが、今日はいよいよこのチームが一つになります。皆とってもいい顔です。さて今日はどんな感動が待っているでしょうか。

   

 ホテルの前には既に私たちを先導する救急車が2台列をなして待機しています。マニラは世界でも有数の渋滞地区です。出来る限り多くの患者を診る為には地元の協力を得て現地に向かわなければいけません。器材をバスに入れいよいよ出発です。けたたましいサイレンが鳴り響き、路上の人達が怪訝そうに見ています。渋滞の中を割って入るようにバスが進み、少し申し訳なさそうに窓を見つめながら参加者たちはこれから始まる活動へ沸々と意欲を高まらせていくのでした・・・

 

「バランガイ 649 ゾーン 68」

BAGONG LUPA(BASECO)PONT ANEA MANILA

活動場所 マニラ高校内 を使用

対象   生徒70名 及び 周辺スラム住人

患者数      588人

(保存)     118人

(抜歯)     219人

(クリーニング) 377人

(投薬)     191人

       

 この地区はマニラ最大のバランガイです。約51,060人の人達が生活をしています。もともとこの地区はフィリピンの地図には記載されていませんでした。海沿いに面したこの地区は「BASECO」という造船会社が工場を作りその周辺に数人の人間が生活をしはじめたのが始まりでした。その後、スクワッター(不法居住者)が大勢押し寄せ、いわば勝手に集落を作ってしまったため、1997年 見かねた政府はその周辺を埋め立てし現在のバランガイを作り、国内の地図にもこの地域名を認可しました。

 主にここの住人は漁師や船場で働き生計を立てています。一日の労働で得る報酬は200~300ペソ(400円~600円)程度で一家族平均7人。子供たちの就学率は70%ほどで、さらに高校へ進学できるのはその半分ぐらいです。今回、私たちはこのスラムの中心的位置に建設されたマニラ高校を会場としてお借りすることが出来ました。日本のようにコンクリートでとても大きく、立派なこの高校はまさに、竹や木をくくりつけただけのスラムに住む人々の憧れの象徴のようです。子供たちはこの憧れの高校へ進学をしたいことでしょう。しかし、貧困は同じ地区、同じスラムに住んでいても、学校に通える子とそうでない子を生んでしまいます。私達が活動準備をしていると、金網に囲まれた敷地のゲートから「ジー」とこちらを見る小さな子供がいます。靴もはかず、服もボロボロ。私は数秒間彼から目が離せませんでした。生気のないどこかさみしそうな目に…現在AM 9:00 気温 29度 いよいよ今年最後の医療奉仕活動が始まります。

    

 左右にいくつかの教室が並びそれを繋げる二階部分の下、広い吹き抜けの踊り場のような場所が今回の活動場所です。

 今西先生の指示の下、手早く各ブースが作られていきます。団旗が掲げられ74名の参加者が今一つになろうとしています。検診ブースの先にはもうすでに大勢の患者が列をなしてカルテを記入し始めています。いよいよ開始の時です.

  

私は皆に伝えます。「今日が今年のハローアルソン・フィリピン医療ボランティア最後の医療活動です。この場所を見て下さい。この近代的な建物と後ろに広がるのは竹や木でできた劣悪な環境のスラム街。その光と影の間で私達は今からボランティアを行います。皆さん一生懸命、精一杯、全てを出し切りましょう。この地で燃えずして、この状況を見て熱くならないで、日本に帰り語ることなどできません。私達74名はボランティアの神様に守られています。決して失敗や事故などはおきません。心を一つに頑張りましょう!!」

見渡すとそこには成田空港で眠い目をこすりながら現れた「今どきの高校生」の姿はありません。そこにはこのボランティアを通じ、何かを感じ、悩み、目の前の患者に対し自分は何をしなければいけないのかを懸命に考えている青年たちです。

 

    

先生達が額の汗を拭う暇もなく必死に歯を抜いています。日本の診療室とは違いライトも器具もないこの環境で歯を抜きます。そして日本では絶対に抜くことのない歯を、心を鬼にして抜いていきます。そして語ります。「どうしてこんなにも怖い思い、痛い思いをしていても子供たちは泣き叫んでも口をあけたまま我慢しているのか。」高校生たちは黙ります。「それはもう二度と歯の治療を受ける事が出来ないと分かっているからです。もう二度と訪れない人生の最後のチャンスと分かっているからこそ怖くても必死に耐えているのです。」泣きじゃくる子供たちの手を高校生が握りしめます。先生達の手元を一生懸命ライトで照らします。そして血だらけになり、次々と歯を失っていく様子を目の当たりにし、高校生達は涙ぐんでいます。

    

私は言います。「目に焼き付けなさい。心に記憶していきなさい。そしてこの現実から学び、語り、自分の人生に生かしなさい・・」

 

クリーニングブースでは歯科衛生士たちが元気に明るく手作りの絵本を用いて、子供たちに歯の大切さ、歯ブラシのやり方などをお話ししています。皆、とてもいい笑顔です。子供たちは皆さんから頂いた歯ブラシを大切に握りしめ、歯科衛生士と一緒に歯ブラシを上下に動かしています。日本で集められた1本の歯ブラシがお口の中の健康と笑顔を繋ぐバトンとなり、今彼達に届きました。日本ではおそらく感じ得ることのないこの感動を決して忘れることなく、今回の経験を日本での歯科治療に生かして欲しいと思います。

      

 

「 入れ歯に込めるハロアルの思い・・」

「あと、残り15分――!」最後の患者を向かい入れるため今西先生が誘導します。いくつかのブースでは片付けが始まり、いよいよこの活動が最終を迎えます。そして一人の女性が検診ブースに歩み寄ります。

「上の歯を2本抜いて欲しい。」「どうしてしっかりしている歯を抜きたいの?」「全部歯を抜いて入れ歯を作った方が安いから、もう何年も歯がないからこの際抜いて欲しい」

つまり部分入れ歯は値段が高く買う事が出来ないため、総入れ歯にしたいとのことでした。

そのお口を見て今西先生が会長 林先生の判断を仰ぎます。「先生、この患者に日本から準備してきた器材でこの場で入れ歯を作っても良いですか。」時間的な問題もさることながら、このような状況でしかもその場で入れ歯を完成させることは日本では通常大変難しいとされています。しかし今回3回目の参加となった歯科技工士の田端さん、初参加の浅水さんのコンビが林先生の指示の下、入れ歯を作っていきます。少しずつ片付けが終わった先生たちがこの最終ブース「入れ歯作り」を見学に来始めました。私達の活動の歴史の中で初の試みとなったこの「入れ歯づくり」は、日頃往診先で林先生と共に数多くの患者さんの入れ歯を作り、治してきた日本での経験が成せるものです。さっきまで歯を抜いてくれと言っていた女性は少しずつ完成していく自分の入れ歯に驚きながらも、とてもうれしそうです。それもそのはず、本当なら歯を抜かれ、ひとつ約1,500ペソ(3,000円)の費用がかかる入れ歯を入れなければならなりません。一日働きたった200ペソの彼等には到底手の届くものではないからです。

   

そして林先生がかみ合わせを調整し、ついに完成しました。会場からはいつしか大きな拍手と歓声が沸き上がっています。女性は嬉しそうに鏡を見ながら何度もお礼を言い、彼等を抱きしめます。

今回製作した入れ歯はたった一人のたった一つの入れ歯でしかありません。過去をさかのぼれば入れ歯を必要とした患者は大勢いました。しかし、私達はその時その時、できるだけのことを全力でおこなってまいりました。そして会発足11年という年月を経て、一人の女性に入れ歯を提供することが出来ました。この新たな1歩が踏み出せたことはまさしくこの活動の理念でもあるように、日本での361日の賜物なのではないでしょうか。

田端さんや浅水さんの照れくさそうにその女性と写真に写る笑顔が何とも言えません。しかし私が一番印象に残ったのは、たんたんと義歯を作成し完成までの指示をおこない、この治療も日々日本で行っているものと何ら変わりのないように処置を行う林先生の涼しげな表情でした・・・

 

「スラム見学」 

 活動中、各班に分かれ数名ずつ、この会場を取り巻く周辺のスラムを見学に行きます。

見学は徒歩で約15分程度の範囲内で、この地区の人々がどのような生活をしているかを見学します。しかし、この地区は大変治安が悪いため、地元ロータリークラブは勿論、警察官も同伴の上、スラムの中に入っていきます。

 

  

 強い日差しが参加者を襲い、犬のフンや汚物が散乱するスラムの道を歩きます。異臭が鼻をつき、目の前に広がるのは、今にも崩れそうな竹を組みこんだだけの家屋でした。その中には一応の生活用品はあるものの、トイレはなく、水道などは勿論ありません。ハエが舞う台所には燃えかけた炭が見えます。その奥には生まれたばかりの赤ん坊が布きれ一枚に包まれながらスヤスヤと眠っています。職も無くただ煙草をふかしてこちらを見つめる男性。初めて見る日本人に歓声を上げる老婆。瓶や鉄くずが散乱するスラムを裸足で駆け回る子供たち。参加者たちの表情が少しずつ変化します。これが世界の現実でした。スラム街に住む彼等は私達がボランティアにこの地に訪れていることは理解しているも、あまりにも違う「裕福な日本人」という存在に、路地から見つめるその眼は、ある種の殺気さえ感じる時があります。

  

この現実を肌で感じた参加者たちは、いったい何を感じ、何を考えたのでしょうか・・・・

 

「別れの時」

 全ての活動が終了しました。あちらこちらで細かなゴミを拾い、荷物や器材がまとめられています。天候にも恵まれ、野外とはいえ日差しを遮る屋根もあり、一応の水やトイレも確保でき、こんなにも快適な環境で活動が出来たのは過去にも例がなかったように思えます。

 野戦病院のような熱気とボランティアの情熱に満ちた会場に海風が心地よく流れてきます。あんなに騒がしく大勢の患者で賑わったフロアに少しずつ西日が差してきました。

 参加者が各々、この活動の終わりを惜しむかのように写真を撮っています。今回も現地で私達と共にボランティアをおこない、毎年私達の安全、活動を支えてくれるマニラロータリークラブのメンバーに感謝の意を告げるとともに、歯ブラシ約1,000本、薬100人分を寄付致しました。

 バスに乗り込む時、この学校の校長先生が私に言いました。「今日の出会いとあなた方の活動に心から感謝をします。本当に貧しいこの地域にどうか今後とも支援をして下さい。」

 力強く握るその手に「私たちこそ、素晴らしい出会いを有難うございます。これからもできる限りの支援をおこなっていきます」と告げました。

 心地よい疲労感と皆が一つになってやり遂げた充実感が漂っています。

      

バスの外を見ると、抜歯ブースで見かけた男の子が私達に手を振っています。おそらくもう二度と会う事が出来ない子供たち。その瞳に私達ハローアルソンはどのように映っているのでしょうか。少しずつバスが会場を離れていきます。スラムの景色が遠く、小さく離れていきます。その男の子はいつまでも、いつまでも小さな手を振り続けていました・・・・

飛行機でたった4時間のこの場所。日本の子供たちが野球選手やサッカー選手に夢を膨らませる時、今日食べること、明日生き伸びる事に夢を見る子供たちがいます。

今日の出来事は同じ地球の同じ人間同士の現実である事を私達は忘れてはいけません。