「講演会始め」に際しまして、熱いアツアツのメッセージを語ってまいりました(ハンバーーーグ‼)🍴

みなさん、こんにちは。
県立直江津中等教育学校にて、今年の「講演会はじめ」を行ってまいりましたた。対象は、中学一年生の生徒さんです。

タイトルは「歯医者さんは、なぜ海外ボランティアに行ったのか」です。

歯の予防のお話と言うよりは、人生の先輩として、なぜ私が歯科医師という職業を選択したのか、なぜ、フィリピンでの歯科医療ボランティアに参加するようになったのかという内容が中心の講演会でした。

まず、「しごと」についての考え方について。

「しごと」と「職業」をごっちゃにしないでね、と言うこと。

あくまで、「職業」は「しごと」と言う目的を達成するための「手段」であると言うこと。

ごっちゃにしてしまうと、「職業」に就くことが目的になってそこで終わってしまうパターンも多いのです。
その先を見失ってしまうことも多い。

そのようにならないためにも、

私の今までの人生を紹介しながら、多感な10代のときに「肌で感じること」の大切さをお話ししてきました。

世界には、自分の知らない世界が、価値観が、文化がいっぱいあります。

そして、その経験があなたの可能性を広げます。

人のために役に立つと言うことは、人間の生きる本質なのかもしれません。

今回は、まとめのスライドに、

私の昨年の夏の入院と患った病気のお話しもしました。

私自身、初めてのつらい経験でした。

マイナス思考のスパイラルに入り、肉体的にも精神的にもやられました💦

病室でハロアルの写真を見たときでした。

笑い顔を作るだけでも、笑うふりをするだけでも脳にはセロトニンというプラス思考の幸せホルモンが出てきます。

この「笑顔」はどうかと思いますが。
それぐらい、病室にいるときは笑えなかった…でも、無理にでも笑顔を作ってみました。

今、つらい状況にある人も、命を取られるわけではないのですから開き直って「笑えば」いい。

笑えない環境にいるのならば、そこから逃げて場所を変えて、笑える、笑顔になれる場所を見つけて、ひとり声を出して笑えばいい、笑うふりだけでもいい。

そして、ちょっと元気になったら、自分のできる「人を喜ばせること」や「人の役に立てること」を見つけて、小さなことでいいからチャレンジしてみてください。

「支えあいの心」を大切に、忘れずに。

私は、歯科界の中村哲医師のようになります。

がんからもらった、おまけの人生
フィリピンに「歯ブラシセンター」を作りたいと思います✨

小学校で講演会を行ってきました。

先日、退院後初の講演会を行ってまいりました。

有田小学校の6年生の「キャリア教育」の授業の一環として呼んで頂きました。

講演会タイトルは、「歯医者さんは、なぜ海外ボランティアに行ったのか」です。

上越市立有田小学校は、新校舎で内装には木材をふんだんに使いとても居心地の良い小学校でした。

みなさん、とても真剣に私の話を聞いてくれました。


私も病み上がりではありましたが、生徒さんの素晴らしい「あいさつ・返事・笑顔」に刺激と元気をもらい、無事に講演会を終えることができました。
フィリピンの子供たちの劣悪な環境についてお話ししました。
フィリピンでは、1日1食の人が多く、いつもおなかが減っているので歯ブラシよりもお米を選んでしまいます。
ですから、歯の予防が殆どできない状況です。
私たちは、高校生と協力してフィリピンの人たちの歯の治療を行います。
感謝の気持ちを忘れずに。
ボランティア活動という社会貢献は自分を大きく成長させてくれます。
ボランティア活動の紹介動画の時に流れる「糸」を一緒に歌ってくれました。

講演中、放射線治療の副作用のドライマウスの症状ため口の中はカラカラに乾きやすい状態でしたが、真剣に聞いてくれた生徒さんみなさんのおかげで私の心は、高原の朝の朝露が木々の葉を湿らすようにように潤いました。

お後がよろしいようで。

心温まる手紙

みなさん、お元気ですか。

お久しぶりでございます。

退院後は、がん治療の副作用の口渇と味覚障害が思ったよりも強く、液状の栄養剤しか口にできなかったものでブログもなかなか書く気力を失っておりました。

「医食同源」と言うことを身をもって感じました。

味覚障害に関しましては、その症状に応じて漢方なども服用しておりました。
そのお話しは、また後ほど詳しくブログで書かせて頂きます。

その前に、先日私が毎年2月に高校生たちと共に参加しております「ハローアルソン・フィリピン医療を支える会」の医療ボランティアの団長であり、私と同い年(今年で夢見る48才、昭和48年生まれ)でもあり、栃木県で歯科医院を開業されております関口 敬人先生から、心のこもった、心に響く手紙が届きましたので、ぜひみなさまにも読んで頂ければと思います。

左から、私、関口団長です。

(以下、関口先生からの手紙の内容です)

先日、祐介から電話をもらい、ハオチャンの病状の事を聞きました。
突然のことで正直大変驚きましたが、発見も早く、ステージ1ということを聞き、まずは一安心し本当に良かったと胸をなでおろしました。

このようなことを周囲に言うのはなかなか難しいことだと思います。
ましてや私など何もしてあげられませんが、せめてハオチャンの回復のために今日から祈り続けていますね。

このコロナ禍での闘病生活は大変だったことでしょう。
家族にも会えず、さぞ心細かったことと思います。
仕事の事、スタッフや患者さんの事、そして家族や将来の事、心配すればきりがありませんね。

しかし、ハオチャンには良妻とあの父親よりもしっかりしている子供たちがついているのだから、今はゆっくり、しっかり体を治してください。

以前、ボス(この会の会長:林先生)が脳幹内出血で倒れられた後、こんなことを言っていました。

「後遺症もなく元気になれたのは ‘’徳” の御かげ、しかしこれは自分が積んだ徳ではなく、幼いころ死別した父親の徳であったり、ご先祖様の徳によって私は救われた。

だからこれからの人生で自分が子供たちや孫たちの為に徳を積むようにする。」

私はその言葉を聞きながら、自分も体調を壊した時や何か物事が解決した時にふと思い出すことがあります。

言じるか信じないかは自由ですが、もしそのような事ならば、なおさら救われ、助かった命により感謝でき、これからの人生をもっと有意義に使えそうだとは思いませんか?

ハオチャン、恐らく私たちはまだ世の中に必要とされていると思うので ・・(笑)是非今は心と体を休めて下さい。

ハロアルはコロナ禍の為に現地活動が延期となっています。
しかし何か不思議な感じがしますね。

このような時にハオチャンも祐介も病気やケガと向き合うこととなり、それが運命的に現地活動が延期となっているとは ・・。

このハロアル医療活動の現地統括者で歯科医師でハロアルレディオのDJでプロの歌手でもある今西 祐介先生( greeeen のうちのひとりではないよ)

もしこれが平時の時ならば、この会にとって大きな柱を2本も失って活動をするところでした。

これを簡単にボランティアの神様のおかげと考えたくはありませんが、人間どのような運命の歯車が回っているかわかりませんね。

ハオチャン、ハオチャンと出会ってもう何年たったでしょうか。
今お互い心も体も50歳を前に良 い節目を迎えつつあります。
いつまでもお互いを叱咤激励できる仲でいるためにどうかしっかり治してください。

私も十分気を付け、また再び一緒に頑張りましょうね。
月並みですが、診療のことでもボランティアのことでも私に力になれることがあったらいつでも 言ってくださいね。

何故かって?そりや,友達だからだろ! ! !

では、 静養中、今度こそはウケるギャグとマジックをしっかり考えておいてください。

(以上です。)

私は、この手紙の内容が心に大きく響き、改めて国境を越えてのこの医療ボランティアを続けてきて良かったと心の底から思いました。

この手紙は、「私の棺桶に入れますリスト」の5番目に入りました。

そして私がこの手紙を読んで感じたのは、夫婦や親友と言うものは、「価値観」を長く共有できる「同志」に近い存在なのではないかということでした。

このボランティア活動から私が学んだ価値観は、

・できる人ができない人のために何かをする

・楽しいから笑うのではない、笑うから楽しくなる

・あたりまえの「あ」からありがとうの「あ」へ

関口団長からの手紙を読んで、がんを経験した後の私の「第二の人生」は、国境を越えて「徳」を積むことにポイントがあるように感じました。

これからも、海外で「ハローアルソン・フィリピン医療を支える会」の活動にも、日本の自分の歯科医院でスタッフと共に協力して歯を「なおす」から「まもる」ためにも日々精進し、「徳」を積んで参りたいと思います。

そして、これからの命を世界の恵まれない人々のためにも有意義に使いたいと思います。

今後ともみなさまのご理解とご協力のほどよろしくお願い致します。

今の私を支えてくれるハロアルから学んだこと。

コロナ禍の前、私は毎年2月に地元上越の高校生達とフィリピンのスラム街へ歯の治療を中心とした医療ボランティアに行っておりました。

その医療ボランティアの会の名前は「ハローアルソン フィリピン医療を支える会」略して「ハロアル」です。(興味のある方は、ぜひ検索してみてください)

このボランティア活動の中で、私がフィリピンの皆さんから学んだ大切なことが3つありますので紹介させて頂ければと思います。

そして、あの「非日常」かつ「劣悪な環境」の中で私が肌で感じたことが、今の入院中の私を勇気づけてくれているのか、みなさんにも少しでも伝わることがあれば嬉しいです🌟

1つ目は、なぜ、フィリピンの子供たちは日本より貧しいく劣悪な環境にいるのにも関わらず日本人の子どもたちよりも「笑顔」が多いのだろうか、ということへの「答え」でした。

診療待ちをする子供達の笑顔

そして、私がハロアルの活動に参加し続けて5年目の頃でしょうか、その答えがふと私の脳裏に舞い降りてきました。

「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなる」

フィリピンの皆さんの笑顔から日本人の私が教わったような気がします。

入院中は笑顔が出にくいものですので、私は毎日洗顔で鏡を見たときには強制的に口角を上げてニコッと笑顔を作るようにしております。

ちなみに、口角を上げて笑顔の表情を無理に作るだけでも脳は「楽しい」と錯覚し免疫力が15%ほどアップするそうです。

コレはタダですのでやらない手はありませんね!
笑顔のパワーは計り知れませんね。

フィリピンの有名ファーストフード
のキャラクター「ジョリビー」

そして、その笑顔はどこから来ているのか?

そう考えたときに2つ目の事を学びました。

『あたりまえの「あ」からありがとうの「あ」へ』 ということです。

「あたり前だ」と思うといつも心が満たされない、いつまでも相手に求めてしまう。

「ありがとう」と感謝をするとなぜか自分の心が満たされる。

フィリピンの人々の「笑顔」がそのことを表していると思います。

いつも感謝の気持ちを忘れないということ、それがなかなかできない日本人は、フィリピンと比べると遙かに物質的に豊かなのに、心が豊かではないのかもしれません。

ですので、私も入院中は看護師さんや技師さん方には「すいません」ではなく、代わりに「ありがとう」の感謝の言葉を意識的に口にするようにしています。

ボランティア活動という社会貢献は、一方的に与えるだけでは続きません。

半分受けてもらい、半分受け取る。私は歯科医療を行い、フィリピンのみなさんからはいっぱいの笑顔と明日への生きるエネルギーを頂いたと思います。

そのように肌で感じたときに学ぶことのできた最後の3つめです。

「できる人」が「できない人」のために何か行動する。

これは人が人としてあるために忘れてはならない、「人が人として生きるための本質」なのだと思います。

このように、活動に参加した高校生だけではなく、大人の人生さえをも前向きな姿勢に向かわせてくれたハロアルの活動に関わってくれている全ての皆さんに「感謝」の気持ちでいっぱいです。

これからも全力でこの会を支えて参りたいと思います。

この活動を通して仲良くなった現地通訳のキコが言った言葉が今でも忘れられません。

「ハオさん、あなたは、日本で生まれたと言うだけで、とてもラッキーで幸せな人ですね。」

今でも、キコの言葉が私の心に響きます。

そして、海外で学んだこと肌で感じたことや言葉が、入院中の私の弱くなりかけた心を支えてくれています。

そして、完治しましたら、日本、海外を含めお世話になった方々にまだまだ「恩返し」をしなければならないと強く感じ決意した次第でございます。

最後に、とっておきの「ハロアル間違え探しのコーナー」

今日も、お後がよろしいようで。

コロナ禍のこんな時だからこそ、新・習慣を!

コロナ禍で、自粛生活が続くと心も疲弊してきますよね。

ストレスがたまって、周りの人への対応もきつくなりがちです。

そんな時こそこの「スリー・グッド・シングス」の習慣が生きてくるかもしれません!

「スリー・グッド・シングス」法で翌日も元気に!

「スリー・グッド・シングス」法とは、その日に体験した良い出来事を3つ書き出す方法です。
こうすることによって、幸せな気持ちが強くなるだけではなく、うつ的な気持ちが軽くなることが分かっています。

寝る前に少しだけ時間をとって、よかった出来事を3つ書き出し、心の力を高めて毎日を元気に過ごすようにしましょう。

そして、私がフィリピン医療ボランティアの活動の中で学んだ『あたりまえの「あ」から、ありがとうの「あ」へ』の気持ちもコロナ禍での心のあり方において大切なことのひとつなのかも知れません。